遺書

無気力人生、言の葉、感受性

通院の苦痛と、わたしの世界

治療目的か薬目的かわからないメンタルクリニックの通院を昨日も欠かさず行いました。

1人なら多分辞めていると思います。

だが、自家用車がない事や薬で運転が危険だからと母親が毎回送迎している為、嫌でも苦手な朝と午前中を費やして早8ヶ月経ちました。

正直な所、良い方向に向かうにもまだ基盤を創っている状態。

 

診察室での安定の会話。

「最近どうですか?」

「…ん…ぼちぼち…で、変わりないです」

「夜眠れてますか?」

「なんとか…何度か目は覚めてしまいますが(中途覚醒早朝覚醒酷いけど日中運動しないから私が悪いから話さなくていいや。)」

「ご飯は食べれてますか?」

「はい(夜だけとかだけど酒飲んでるし過食しかける時あるし実質食べてることになるからいいや。)」

「なにか気になることはありますか?」

「…特には…ないかな…(私は何なんですか最大料まで増やされた鬱薬のんでるけど世界が晴れないのですが。死にたいのですが。希望も気力も意力もないのですが)」

「そうですか…まぁ、とりあえず今日もこの後カウンセリングあるので、外でお待ちください。」

「はい、わかりました…ありがとうございます。」

諦めたような診察の時間。無駄だ。

 

1番疲れるのはカウンセリング。

クスリでキマっている時は、なんとか文として心理状態を書くことができます。

ですが、やはり他者と真剣に話すとなると取り繕った自分が照明に立ち、弱い自分はどこかに避難する。それで話すのはそれもまた無駄に思えてきたり。

でも、昨日は少しだけ話せました。

薬の話になった時、何で飲むのか考えてたら「頭が、脳が、脳を誤魔化さないと、気が狂いそうになる、叫び声上げそうになったり最悪人を殺してしまいそうな、感覚。分かりません、怖い…怖いんです。生きてる事というか、生活、自分の存在が無くなればいい、何もかもつらいしんどい」

泣きながら言葉で発せない気持ちを精一杯絞り出すと、感覚が直視して怖くて泣く。

 

心理曰く、私は現実と妄想が混ざって分からない状態らしいです。

確かにそうかもしれない。納得した。

でもそれを切り替えるスイッチがクスリだ。

そう、薬を飲むと恐怖心が消えるから。

でも良くないと言われた。当たり前だ。

他にスイッチとなるものを探しなさいといわれた。

考えました。

昨日から考えて、今も考えて、現在100%スイッチを切り換えられるクスリがないから。

 

そうして思いました。

このまま、スウェットを着たまま荒れた髪の毛のまま素足で外を全力疾走したら、スイッチが入るのではと。

 

だが、思考も行動も、結局異常者のままだ。