遺書

無気力人生、言の葉、感受性

なんぼ汚れた私でも


なんとなく寂しい。

例えるなら、幼い頃家族みんなで出かけ、私一人が家でお留守番していた感覚。
或は、幼稚園のお迎えを、他の子が親に手を引かれて帰る中、『預かり教室』で親を待っていた時の気持ち。

みんな居ない。



そして、何となく寂しい。何となく虚しい。何となく認められたい。なんとなくお金が欲しい。

だから、今日2年弱ぶりに「※援⚫⚫際」をした。
(※の初めて援⚫⚫際をした時のお話はまた後日)


寂しさなんかその時しか消えなかった。悲しい。
諭吉と樋口をみて、
「なにに使おうかな。お薬かな。支払いかな。そんな余裕あるかな。」
なんて考えた。

私、1人で強く在りたかった。
自立した普通の大人になるはずだった。
寂しさなんてとっくに消えていたはずなのに。

今は誰もお迎えも来てくれない。
頭を撫でてくれる人もいない。

みんな関係ない。
だっていい大人だもの。