遺書

無気力人生、言の葉、感受性

あの夏の日の魔法だった、

昨年8月10日、ODで緊急搬送されました。

その後、母親と親の彼氏と姉が住む家に住んでいる。

当時、本気で死んでしまいたかったし、未だに何故生きてしまっているのか、昼夜逆転は治せてた。

だが、心はあのアパートに忘れちゃったのかもしれないね、なんてね。

夏の、夏の暑かったから、夏のせいにするには強引でした。

母親の元に来た時は、心配したんだろう実父親がよく出かけに連れて行ってくれたりしたんだ。海とか競馬とか外食、ライブ、牧場…。不器用なお父さんなりの愛だったのかもしれない。

でも、私はいつまでもを手放せず、うつ状態抜けきれず、結果半年程無職のままです。

そして、私馬鹿だから、お母さんの彼氏お父さんとして慕ってしまって大好きと、お父さんの代わりとして、「お父さんよりお父さん」なんて言ってしまった。

何がいけなかったのか分からないけど、その人に、母が見てないところで2-3回程、胸やお尻とセクハラしてくることがあった。そうして、2度も私を突き放すような発言をして、完全に回避性の回避発動してしまい、その人といるのが苦しくなってしまった。

 

お父さん…元気にしてるかい?

連絡すらないけど、このうちにいる限り父親の存在を出すとその人は嫉妬をするから、私からも連絡出来ずにいる。

ねぇ、夏に行ったさ、「あの夏の日の魔法-弾き語りツアー」覚えてる?

あの時、この二曲聞くと私たち姉妹を思い出すと言った事。LINEで今更、「おとーの大事な娘だよ。だめなおとーでごめんな」って今更あの夏に送った事覚えてる?

夜が来たらさ、お別れだから
真っ赤な夕焼けに手を伸ばしたんだ

元気にしてるかい さみしくはないかい
思い出してごらん ほら笑ってるよ
そばにはいないけど君がわかるよ

魔法だったのかもしれないね

あの夏は。