遺書

無気力人生、言の葉、感受性

匙を投げる

疲れた。気怠い。

何かをした訳では無い。

何に疲れたのかも分からない。

 

ついこの間気がついた。

『 母親は、娘に死なれるより、結婚前提の彼氏が亡くなった方が絶望する。生きていけなくなる。』

と。

それはとても悲しいことだけれど、当たり前だ。 

無職3人の家。過食嘔吐の長女。鬱でヤク中の妹。失敗作の娘二人背負った母親の精神も、かなり参っている筈だ。

そんな所に彼が居るから、生活も母親の精神もなんとか成り立っているものなんだ。

そして、私に存在価値はあるか?

生きていることに需要があるのだろうか?

という疑問を、最近はずっと考えている。

そうして、早く死んでしまいたいと願う。

 

でも、私の鬱も不安も消えてくれると、家族に安を与えられる。笑顔も見れる。体がボロボロでも、それでいいと思っている。

生きている間は。限界が来ることもわかっている。その時は本当に最期だね。

 

何時からだろう、自分の人生ではなく、他人の人生で生きてグルグルし始めたのは。

「だったら自分を大切に自分の人生を歩きなよ。」

それが分からないから、出来ない。

 

私は限界が来て死に損なった度に、私の人生、リセットではなく、捨ててきたのだろう。きっとそうだ。

 

もう分からない、伝えたい思いが書けない。

ちゃんと書けないから届かない。

まるで幽霊。

 

 

思い。

 

此処やTwitter上だけでは、相手のことをわかる割合って5-6。

もしくはもっと低い人もいるだろう。

私は沢山の事を我慢して耐えて、拗らせた。そうして深い闇を抱えてしまった。

それはネットだけではどれだけのものなのか、辛さなのか、伝わらない。

 

悲しいよね。

でも私は大好き。これを読んでくれる人も、Twitterの優しいふぉろわさんも。大好きだよ。

よも (@yomr__3) | Twitter

マリオのスーパースター

「心なんて一生不安さ」

どこかのバンドマンが言う。

「私もそうなの」

と肯定を伝えられない。

 

無敵な世界を造りあげるのだ。

毎朝、毎日。クスリを計10錠。

スーパーマリオの🌟のように。

時間制限と反動付きの無敵状態。

 

するとどうなるだろうか。

世界が穏やかに優しくなる。

車、バイク、足音、生活音、騒音に怖気づかない。

鬼のような人間もどうでもよくなる。

素直でクヨクヨしない、何時かの自分になる。

きっと私は、昔の自分の感覚が残っている。本当は本来に戻りたい思うからなのだろうか。
他者曰く、

「長年一人で抱えすぎて、シラフでの自分自身に対応できなくなった結果」

それがクスリ手放せない理由。

薬物依存症の原因。

 

私のスーパースターは効能反応が少しノロイ

やっと気づいた、効いていると。

 

それでは、また。

 

 

 

置かれた場所で枯れる

『 置かれた場所で咲きなさい 』

そんな言葉、花にも言えますか?
人間と花は違う、とでもいいますか?


人間も花と一緒だ。
置かれた場所で咲ける花なんて、人並みの花達だけだ。

自分は枯れる。咲く前に枯れる。
きっと、心の底から本当の幸せを望むのなら、どうにかして咲くだろう。
だが、自分にはもうそんな余裕も武器も無い。
だから、毎年咲きそうで咲かない。
周りは、とりあえず枯れないサポートをするのみ。

本当は早く枯れて土に還りたいと思う。

そんなやる気の無い花だって居たっていいじゃないか。


私は。私は、置かれた場所で枯れます。

瘡蓋にならない傷

無意識に刺さったナイフの傷が開いたまま。

忘れられない刺さったナイフの傷も開いたまま。

開いた傷は瘡蓋にもならない。

その時の辛さ怖さ苦痛が埋め込まれる。

そうして浅い傷に誤魔化して、テープで補強するような、そんな感覚。

その隙に誰かが埋めた意識。他者か自分か。

「大切な人を困らせたくない、迷惑かけたくない、悲しませたくないのなら、この先『助けて』『限界』と叫んではいけません。」

 

人生、人並みのスタートが0だとすると、私のスタートはマイナスだと思った。ゼロに達したことなんかきっと無いのではないかと思った。

マイナスから始まる緩やかなナイフのついた滑り台が、見えない着地点に向かって滑り出す。痛い痛い、古い傷。

そうして約10年前から、急にナイフの大きさも量も増えて光も遠ざかりながら、滑り落ちた。そのうちナイフだらけの崖から落ちて、気づいたら真っ暗の底だった。

記憶を辿る。

罵声、怒鳴り声、痺れた両足、ガラスの割れる音、叫び声、奇声、荒れている机、孤独、監視、束縛、嫉妬、誤解、ピンクの剃刀、空き瓶、流血、ヒールの音、飲酒、洋楽と混ざった声、絶望、多量の輸入薬、金銭、初対面の人の裸、ピアノの音楽、両手両足多量の傷。苦しさ、辛さ、疲れた。お疲れ様。

 

終わっていなかった。

大切な人が悲しんでいる。

叫べばよかったのだろうか。

でもそれは意識に反する事になるのに。

「10年20年悲鳴もあげず苦しんだのなら、人並みになるまで同じくらいかかる。」

 

それまで生きていられるかな

本当は未だ早く消えてしまいたい

 

噛む馬はしまいまで噛む

いつか、いや、何度も感じたこの感覚。

補強したコップの穴が、突然割れた。

中身が無くなり唖然とする。

温かい夢から覚め、我に返るように。

そう、夢を見ていたのだ。

温かい夢だった。

子供の自分が喜んでいた。

暖かい手。

温かい言葉。

優しさ、愛情、そして安心感。

 

悲しい年明けだった。

泣きすぎた目はまたもや一重だ。

笑ってしまいそうだ。

期待した自分が悪かった。

見捨てられ不安が消えた。

見捨てられたと私は感じたから。

他者との距離感を間違えていた。

近づきすぎた。甘えすぎた。頼りすぎた。

全部私が悪かった。

 

もう私には結構です。疲れました。

これ以上苦しまないよう、再び回避的傾向になる筈だ。

 

私が愛しているのは、ブログの読者とTwitterのフォロワー。

そしておはようからおやすみまでの薬。

 

 

 

杖に縋るとも人に縋るな

分かりません。

「自分を大切にしていいんだよ」

と、以前の主治医や周りの人は言うのです。

 

私は弱音を吐いてはいけないのです。

何故なら、いつか、昔の、あの頃。

「自分が悪いんだろ。自業自得だろ。」

そう、母親が言った。

脳内でも誰かが言っています。

 

私、疲れました。

今日はいつもより起き上がるのが辛く、苦しく、天井を見つめていました。

そうしたら何故か、涙が流れてきたのです。

 

「人に縋ってはなりません」

 

人に助けを求める価値のある人間ではないからです。

私が縋るのは薬です。毒です。

裏切りません。薬は裏切りません。素直です。